先日、旧川上村出身の元筏師、井原眞男さん(80)=御坊市=が、日高川町の助成を受けて高津尾の鳴滝橋東詰めに筏流しの記念碑を建立した。平成20年に同地に自費で記念碑を建立したが、23年秋の台風で流失、再建は「筏流しの歴史を後世に伝えたい」との思いから。記念碑には、筏流しの歴史や筏師の活躍など紹介した碑文が刻み込まれ、筏流しのミニチュア模型の写真、元筏師の名前も入っている。
 日高川の筏流しは、江戸時代初頭にはすでに始まっていたらしく、明治期には木材流通が盛んになり、筏流しも隆盛。日高川は難所が多く、日高川の筏師は卓越した技術を持ち、満州と朝鮮の境を流れる鴨緑江などでも活躍した。時代とともに陸上交通が発達、輸送手段はトラックへと移り変わり、昭和28年の大水害で幕を下ろした。
 仲間とともに死と隣合わせの危険で厳しいこの仕事に携わってきた井原さん。「早朝から夜遅くまで汗水流して働いてきた筏師のことを思えば、筏流しの歴史を永久に眠らせるわけにはいかない」と語る。建立した場所は当時、「佐井の鳴滝」と呼ばれた筏流しの難所中の難所だ。作家、有吉佐和子の小説『日高川』にも難所として記されている。筆者も鳴滝橋から川を望む度に、岩の起伏も流れも激しいこの難所を筏が下ったなんて信じられない気持ちになる。そんな筏を再現した筏アドベンチャー(15連筏による川下りの催し)も5年前を最後に取りやめ、日高川の筏は完全に姿を消した。もう経験することも見ることさえもできない。先人たちが歩んだ日高川の歴史。記念碑を見ることはもちろん、知人にも見学を勧め、日高川の筏流しと筏師の勇ましい活躍をいつまでも後世に伝えていこう。    (昌)