「復興計画は出来ていて少しずつ前に進んではいるんですが、目に見えて何かが変わっているわけではないので、本当に順調に進んでいくのか、不安が絶えないのが現実です」。
 甚大だった町内の農業被害の中でも、大きな打撃を受けたミカン農家。とくに「入野みかん」(温州ミカン)のブランドを確立していた日高川町上入野農地組合が受けた被害は栽培面積全体の7割にも及ぶが、復興の槌音が聞こえない日々に、役員の坂本明男さん(63)と高濃泰次さん(45)はため息をつく。
 日高川の堤防沿いに広がっていた6㌶のミカン畑は、堤防の決壊で濁流にのまれ、土砂に埋もれるなど壊滅的な被害を受けた。「被害を繰り返さないために」と組合は堤防沿いの農地の半分となる3㌶を提供する代わりに川幅を広げ、残った3㌶の農地をかさ上げして区画整理する復興計画を自分たちで立案し、町や県に要望。そのかいあって計画を進めていくことになり、この1年間で、 「今年度中にかさ上げと区画整理を完成させ、堤防は5カ年計画」というスケジュールがようやく決まった。ただ予定通りに進むとは限らず、スケジュールと照らし合わせると、遅れが出ているのが現状だという。「県や町はよくやってくれている。ですが、私たちは不安なんです。遅れるにしても、その都度なぜ遅れるのか知らせてくれると、少しは不安も解消できるのですが」と坂本さん。
 ミカンは、 植栽して収穫できるようになるには最低10年、安定した収入を得るまでには15年~20年はかかる。今年度中に区画整理が終わって植栽しても、先は長い。この1年、ほかの作物に変えようか、この年齢で一からスタートできるだろうか、葛藤の繰り返しだったが、ミカン栽培をあきらめない根底には「入野のブランドを守りたい」という思いがある。
 栽培農地の7割を失った高濃さんは、残った山側の畑と、高齢で世話できなくなった人の畑を借りてミカン栽培を続けている。「水害前の生活水準に戻すには本当に20年ほどかかるでしょうが、前を向くしかない。一日も早く復興計画に着手してくれることを願っています」。坂本さんは「入野は土壌や日照条件などミカン栽培には適地。何歳になっているか分かりませんが、おいしい入野みかんを安定供給して、心の底から笑える日が来ることを目指して頑張っていきます」と力を込めた。