日高地方に大きな被害をもたらした台風12号襲来からきょう4日でちょうど半年。死者3人、行方不明者1人が出た日高川町では日高川の護岸や道路、田畑などいたるところで大きな爪痕が残ったままだが、今春から道路などの本格復旧工事がスタート。全半壊した住居の修繕がほぼ終わって住民も元通りの暮らしを取り戻し始め、一歩一歩着実に復旧への道のりを歩んでいる。
 日高川町の住居被害は全壊11棟、大規模半壊11棟、半壊37棟、床上浸水193棟、床下浸水87棟。被災者にとって住宅の再建は、町や県からの義援金や見舞金、生活再建支援制度など各種支援はあるものの大きな負担。さらに被害を受けた住宅があまりに多いことから大工の不足も深刻な問題で、早く修繕したくてもできない状況となっていた。この間、住民らは町内外の親戚や知人宅に身を寄せたり、仮住まいや壊れたままの家屋での不便な生活が余儀なくされていたが、被災から半年がたち、被害住居のほとんどで修繕が完了している。
 皆瀬地内の鳥居原地区で1人暮らしの北亦つね代さん(86)は、大規模半壊した住宅を再建した。鳥居原地区は、日高川の濁流に飲み込まれ、地区の住居のほとんどが全半壊するなどの壊滅的な被害を受けた。北亦さんは台風時、阿田木の親戚の家に身を寄せて難を逃れたが、翌日に家に戻ると茫然。外観は残っているものの、家の中は天井や床板が外れ、家財道具が散乱していた。自宅は昭和35年に親戚から譲り受け、以来半世紀以上にわたりたばこ屋を営みながら暮らした家屋。高齢ながら「嫁に来た身で、この家にも地域にも愛着がある」と町内の親戚の家への移住はまったく考えず、自宅の再建を即決した。大工の不足で商店街で最も修繕が遅くなったが、昨年末から入居。隣人と井戸端会議を開いたり、たばこを販売したりと以前の生活を取り戻しつつある。住宅の再建に際し「昭和28年の水害のことを思えば、いろんな補助があるし、本当にありがたい。地域のみんなが大事にしてくれるし、この家には家族との思い出が詰まっているんです」と話し、「いろんな物が流され、カレーライスを作ってはスプーンがなかったり、ダイコンをもらっては皮むき器がなかったりとその時にならなければ何がないのか分からない」と笑う。
 町内で大規模半壊以上の壊滅的な被害を受けた住居22棟のうち、町内での再建を決めたのは11棟(元の場所が10軒、移住1軒)。7棟が修繕を終え、間もなく3棟も終了する見通しで再建完了率は90%に達する。他の11棟については、町内での住宅賃貸や町外への移住など。