「10年後はいい畑になってるよ」。亀井さん=三百瀬=は、野球ができるぐらいに広がる荒地を目前にしながらも明るく前向きに話す。日高川左岸の三百瀬地内は大規模に浸水。自宅近くに有する御坊市民球場ほどの広さのミカン畑87㌃も冠水した。作付全体の約20%に当たる約700本が被害を受け、半分が流失、残り半分もなぎ倒された。早生温州と八朔のほか、昨年初出荷して有望品種と期待をかけていた晩柑類の「せとか」がハウス5棟ごと、スプリンクラー全基も壊滅した。
 曽祖父の代、戦前から続くミカン農家の長男で、長崎県の農林水産省果樹試験場で勉強、JAふくおか八女(やめ)を経て平成18年にUターン。町内一、二の栽培面積を持つ「亀井農園」を営む父から来年、経営を受け継ぐ。水害の夜は臨月を迎えた妻を気遣いながら三百瀬小学校体育館に避難。朝になって辺り一面が水にのまれた光景に大きなショックを受けた。何から手をつけていいか分からず、しばらくは放っておこうとも思ったが、数日後に同じ出荷グループの農家が来訪。木にかかったゴミを取り、倒れてむき出しになった根に土をかぶせてくれた。ボランティアに来てくれた仲間への感謝や代々続くミカン農家としてのプライド、妻や水害直後の6日に生まれた長女柚希ちゃんの存在が後押しとなり、復活へ歩み出す決心がついた。
 災害から3カ月以上が経過。無事だったミカン畑の管理の合間にハウスの残骸を整理したり被災した畑を掃除し続けているが、片付けは1割程度しか進んでいない。ミカンづくりは土が命。甘くておいしいミカンをつくるためには、土砂を取り除いたあと山の土を再び入れる作業も待っている。来年に園地改良、再来年3、4月ごろに植え付ける復旧計画。行政の支援対象は、流入してたまった土砂の除去が主で土壌づくりは自己負担。 植え付け後に再建するスプリンクラーは補助期限が平成25年3月末までで、現状では申請が間に合わないという。復旧には補助事業を頼りにしており、「役場の方にはよくしてもらっているが、もっと幅広く柔軟な制度をお願いできれば」と訴える。いまのシーズンは生き残った畑の収穫や選別、出荷で大忙し。「畑がなくなったわけじゃない。みかんは植え付けて10年後ぐらいから本格的に収穫できる。先は長いが一からいい畑をつくり直していきたい」と一歩一歩前進していく。