日高川町で最も被害の大きかった地域の一つ、皆瀬地内で建設業を営む北村さん=皆瀬=。濁流にのまれ破壊された事務所や生コン製造プラントを目の当たりにしたときは言葉が出なかったが、あれから3カ月余りが過ぎ、「事務所は早くに仮復旧できましたが、生コンプラントはそうはいきません。時間はかかりますが、絶対に復活させます。おやじの夢でしたから」。復興へ意欲を燃やし、トレードマークである豪快な笑い声を緑豊かな山あいに響かせる。
 亡父・熊之助さん(享年66歳)が創業、約60年の歴史がある北村建設㈱の2代目。御坊市出身だが昭和43年当時、旧美山村で仕事をしていたことが縁で事務所を現在の皆瀬に移した。約2年後には熊之助さんの夢だった生コンプラント(美山生コン)建設に取りかかったが、完成目前で他界。哲夫さんが後を継いだ。
 9月4日、日高川沿いの2階建て事務所の1階は完全に水没。近くの生コンプラントはコンベアが流出するなど大打撃を受けたが、混乱の中で力を注いだのは自分たちのことではなく町の復旧だった。泥かきやがれきの撤去は人力では限界があり、建設業者は重機をフル活用して大きな力を発揮。町内では国道や県道、町道約50路線の約110カ所で路肩崩落などの被害が出たが、翌日には主要道路の通行にこぎつけ、いまは一部を除いて仮復旧させている。「これだけ早く立ち直れたのは町内の業者が力を合わせたから。いざというとき、建設業が力を発揮できることを示せたのが誇りです」。県や町など行政の対応には「どこをどう直すのかの判断、指揮が的確だった」と評価し、「(大地震発生が予想されるなか)今後の災害に備えても、いい教訓になった」と振り返る。
 いまは従業員の仮眠所だった2階を仮事務所に建設業は再開している。 生コンプラントはまだがれき撤去が終わったところ。復旧には時間と費用が必要だが、「おやじの夢は終わらせない。来年春には再稼動できるよう頑張る」と張り切っている。水害は多くのものを奪ったが、「同業者の励ましもたくさん受けた。人のやさしさが力になることを感じた」と得たものは大きく、「大好きなこの町が水害前よりいい町になるよう、少しでも力になりたい」。心からそう願っている。