県内には現在、県立、国立合わせて12校の特別支援学校がある。それぞれを障害種別でみると、視覚障害が和歌山盲学校(和歌山市)、聴覚障害が和歌山ろう学校(同)とはまゆう支援学校(上富田町)、知的・肢体障害がきのかわ支援学校(橋本市)、紀伊コスモス支援学校 (和歌山市)、紀北支援学校 (同)、たちばな支援学校 (広川町)、南紀支援学校 (上富田町)、みくまの支援学校(新宮市)、知的障害が和歌山大学教育学部附属特別支援学校(和歌山市)、紀伊コスモス支援学校園部分校 (和歌山市)、はまゆう支援学校となり、みはまは唯一、病弱の児童・生徒を受け入れる学校。ことし5月1日現在、12校全体で1324人が在籍しており、少子化により全国的に子どもの数が減少しているなか、5年前と比べると学級数で40学級、在学者数は275人も増加。支援学校の在学者は右肩上がりとなっている。   みはまが担う病弱教育の対象となる病気は、学校ができる以前は結核などの感染症が多かったが、医学の進歩や公衆衛生の改善により激減。かわって、気管支ぜんそくや腎臓病などの慢性疾患の子どもたちが多くなり、30年前の開校時、これら慢性疾患の患者と、重度重複障害児(者)を主に受け入れてきた。年々、在学者が増えつつある特別支援学校、なかでも病弱支援はみはま1校しかなく、現状で十分対応できているのか。在学者の増加について県教委学校指導課特別支援教育室は、「増えているのは知的障害の児童・生徒。地域の障害児通園施設等の増加に伴い、社会の障害児(者)に対する理解が進み、保護者も以前は無理をしてでも一般の学校に通わせる傾向があったが、近年は支援学校で学ばせるケースが増えている」と説明。病弱支援はみはま1校という点については、「医療の進展により、慢性疾患で長期入院を余儀なくされる子どもは減っており、県立和歌山医大附属病院など大きな病院には院内学級もあり、とくに病弱支援学校が不足している状況ではない」という。
 しかし、急激に変化する社会情勢のなかで、みはまは岐路に立っている。医療費抑制のため長期入院患者を減らし、在宅・地域医療への転換を進める国の方針から、隣接する和歌山病院は国立から独立行政法人へと変わり、5年前には小児科外来・病棟が廃止された。元和歌山放送アナウンサーで民間出身校長の池田香弥(57)は「国の医療制度改革、病院の機構改革に伴い、以前は入院・治療しながら支援学校で学んでいた慢性疾患の子どもたちの支援が手薄となっています。彼らを支える医療、福祉、保健、教育のネットワーク再構築も喫緊の大きな課題です」という。社会のニーズが多様化・複雑化しているなか、関係機関のスクラムの重要性を訴える。
写真=記念式典での発表に向け、『ぬくもり』の合唱を練習する教職員ら
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 「いまのメロディー、なんの曲?」。高等部3年副担任の川口貴生(40)は以前、 受け持っていた中学部のクラスの朝のホームルームで、男子生徒がキーボードで奏でた音が耳にとまった。「作ったんよ」と恥ずかしそうに笑う生徒に、中学生のときから音楽が好きでハードロックバンドを組んでいた川口は、 「ほな、メモしとくわな」とその場でたった2小節のメロディーを採譜した。目が不自由なその子が中学部を卒業する際、友達のメッセージや音楽会の演奏のテープを録音したCDをプレゼントすることになり、それにも川口がギターで演奏した生徒のメロディーを入れた。
 その後、川口は5年ほど教育現場の第一線を離れ、 ことし春に再びみはま支援学校へ教師として戻ってきた。 30周年記念式典実行委員の会議で、 「記念になる歌を作ろう」 という声が上がった。 「たのむで」。 肩をたたかれた川口は、 家でギターを手に 「どんな曲がいいかな」 と考えながら、 はたとひざをたたいた。 かつて、 教え子が作った2小節のメロディーが天から降ってきた。 ♪タタタンタタタン...。 教室でメモした楽譜を探し出し、 その音をうたい出しの部分に用い、 歌詞を考えメロディーをつないだ。 「自分の可能性を広げようと頑張る生徒や、 なにげない日常の風景を織り込みながら、 殺伐としたいまの世の中にあって、 互いが相手を人間として認めることで感じられるぬくもりを伝えたかった」。 ふだんの授業でいつも大事にしていることは? それをあらためて自分に問いかけ、 数週間で 『ぬくもり』 という曲が完成した。
  
 学校に行きたい願い かなえようとした
 30年前と同じ 松林が揺れている
 みんな いのちを精いっぱいに燃やしている
 自分の色の 花を咲かそうと
 つないだ手に そのぬくもりが ほら 伝わる
 夢を形にしようと 歩くぼくらの道は
 30年前と同じ これからも続いてゆく
 みんな いのちを精いっぱいに燃やしている
 明日を拓く 力をもっている
 つないだ手に そのぬくもりが ほら 伝わる
 小学3年生のとき、高いところから飛んだ際、股関節の軟骨が欠けるケガをして、手術もできず長期にわたって松葉杖をつく一時的な身体障害者となった美浜町の男性(26)。母親が同じ町内にエレベーターなど設備の整ったみはま支援学校があることを知り、一時転入を相談したところ、当時の校長が 「どうぞ来させてあげてください」と二つ返事で受け入れてくれた。その3カ月の間にキャンプにも行き、 障害を持つ友達や教師との毎日は楽しく、互いを思いやり支え合うやさしさが育まれた。男性はこの経験もあってやがて福祉の道を志し、現在は老人ホームで介護の仕事をしている。みはま支援学校の教職員は、子どもたちみんなの願いをかなえ、生きる力を芽生えさせようと、互いに手をとってともに学ぶ喜びを感じてきた。
 きょう1日、県教委の山口裕市教育長や県内支援学校長、歴代校長ほか日高地方の障害児者団体代表、 地域住民らを招いて30周年記念式典が行われる。席上、教職員と通学の児童・生徒たちが喜びと感謝を胸に、支援学校の歌 『ぬくもり』を披露する。その歌声は、2小節のメロディーを残し、高等部を卒業した年に19歳で亡くなった天国の先輩にもきっと届くはずだ。  (おわり)
 
 文中敬称略。