みはま支援学校では重度の重複障害を持つ人や発達障害の2次障害に苦しむ児童・生徒たちが学んでいるが、 なかには一見、 とくに障害や病気があるようには見えない生徒もいる。 学ぶ場が支援学校でなければ、 普通の学校の生徒となんら変わらない。 知的な遅れや脳機能の障害、 身体的なハンディもないのだが、 健康上の不安や自分を取り巻くさまざまな人間関係、 複雑な家庭環境の問題などから、 学校を長期にわたって休む不登校となった子もいる。 自宅以外での生活の場を長期に失ういわゆる 「ひきこもり」。 年齢的には主に思春期から大人としての責任感を期待される過渡期に多いとされ、 ある調査によると、 男女比は8割以上が男性で、 その約1割がインターネットにふけり、 その数は現在、 全国に100万人とも160万人ともいわれている。
 きっかけとしては、 いじめや虐待の被害、 親の過度の期待、 干渉による自己の未形成のほか、 肉親の死やかわいがっていたペットの死を機にひきこもってしまうこともあり、 原因は10人いれば10通り。 多くは家族や仲のいい人以外の相手に調子を合わせるのが苦痛で、 学校のクラスメートなどストレスを伴う外の社会とのつながりを拒み、 嫌いな人や目にしたくない現実を見たり聞いたりしないよう、 対人ストレスのない自分の部屋に閉じこもる。 毎晩遅くまでテレビゲームをしたり携帯メールをしたり、 インターネットの世界に 「居場所」 を見つける人もいる。
  「ボクにとって、 リリイだけがリアル」 「死のうと思いました。 でも死にきれなかった」。 いまから8年前、 中学生のいじめ、 恐喝、 援助交際、 自殺などを描き、 大きな反響を呼んだ岩井俊二監督、 市原隼人主演の映画 『リリイ・シュシュのすべて』 の中学生たちのチャットの会話。 彼らはネットの世界だけが本当の居場所であり、 唯一、 ハンドルネームの仲間とだけ心を通わせる。 部屋から一歩も出られず、 ネットを通して人と交流する人もいれば、 買い物やごく親しい友人と遊ぶときは外出できる人もいる。
放課後、黙々と重量挙げの練習に励む隆輝 
第4話.jpg 「もともと性格が引っ込み思案で、毎日、家でゲームばっかりやってた」。田辺工業高校電気電子科2年の木村隆輝(16)は、松洋中学校に入学すると学校を休みがちになり、やがて不登校となって、2年からみはま支援学校へ転校してきた。もともと、ぜんそくの持病があったが、ひきこもった理由は話したくないのか、忘れてしまったのか、「あのころは毎日がおもしろくなかった」という。体重は背が伸びたいまより重く70㌔以上もあり、不規則で動かない生活により不健康に太っていた。美浜町内の自宅から支援学校までは自転車で15分ほど。それが当初は倍の30分以上かかり、家の前の坂ともいえないような小さな坂を上るのにも息が切れた。登校初日、髪はボサボサに伸び、パーカーのフードをかぶりうつむき加減にやって来た隆輝を、教諭らは「まるでゲゲゲの鬼太郎みたいだった」と笑って振り返る。昼夜逆転のひきこもり生活から、普通に朝早く起きるのが辛く、体力とともに集中力もなくなっていた。
 授業は1限45分間。はじめは教室の机でチャイムが鳴るまで受けられなかったが、支援学校は一般の学校と違い、床がじゅうたんだったり、横になれるソファがあったり、コーヒーを自由に飲むこともでき、「落ち着ける場所があった」。コミュニケーションに難のある生徒たちとも自然にうちとけ、隆輝にとってはその環境の変化が新鮮に感じ、転校したてのころは1週間に1日ぐらいは疲れて休んでいたが、いつのまにか休まなくなった。担任の渡邊に「面白いからやらんか」と勧められ、バドミントン部に入ったことで学校が楽しくなった。「ちっちゃなころから体を動かすのは好きだった」という隆輝。支援学校に来て人が変わったように、いろんなことに自分からチャレンジした。音楽の授業では担当教諭にドラムを教わり、トロンボーンにも挑戦。2年の終わりごろ、松洋中の友達と5人でバンドを組み、学校のクラブのバドミントンと、放課後の新浜さざなみ荘でのバンド練習に明け暮れた。また、ロボットコンテストにも出場し、個人の部で最優秀賞に輝いた。
 3年生の夏、クラブ活動が終わると、目の前に高校受験が迫った。「一般の高校に行って、バンドの仲間と音楽を続けたい」。夏休み中は毎日、志望校に合格するため補習授業を受けた。疲れがたまり寝坊をしたときは、担任の渡邊に、ここが大事な踏ん張りどころと厳しく叱られた。人生の試練の中で、ただ合格するだけでなく、弱かった以前の自分に打ち克つために。隆輝は第一志望こそかなわなかったが、見事、田辺工業高校に合格した。「2年前の僕には想像もできません。このみはまに来て、こんな僕でも努力すれば何でもできることを学びました」。卒業式では胸を張り、教師、家族、友人への感謝にあふれる答辞を述べた。
 田辺の高校までは電車で通学。毎朝6時に起き、御坊駅から田辺駅まで片道40分かけて通い、クラブはウエイトリフティング部に所属。体育館と格技場に隠れるようにしてある練習場で、黙々とバーベルをあげ、呼吸を整え集中力を高め、孤独な自分との闘いを繰り返す。ことし5月のインターハイ予選では2位に入ったが、全国大会出場標準記録には遠く及ばなかった。体はこの夏、さらに絞り込まれ、11月には69㌔級で県の秋季選手権大会に臨む。監督の三栖伸洋(31)は「この競技は自分のなまけ心との闘い。木村はまだ少し気持ちが弱いのか、自分で自分の力のラインを決めてしまうところがあり、もっと危険を冒すぐらいの積極性がほしい」という。
 振り返れば少しゆっくり、遠回りしたようにも見える小中学校時代。「人間って弱いから、どうしても楽な方へいっちゃいますよね。あのころは周りに甘えてました。ほんと、ヤバかったっス」と照れくさそうに笑うが、すべてはいまの自分につながる必然の積み重ね。いまも変わらない素直さ、人に対するやさしさ、周囲への気遣いがストレスとなって、小さな自分を苦しめていたのかもしれない。「朝は寝床でグーグーグー。学校も試験もなんにもない」のに辛かったひきこもりを克服した鬼太郎の心は、焼きの入った鋼のように強く、しなやかに成長している。