水不足克服が大きな転機
御坊市名田町や印南町を中心に栽培されているスターチスが、今年も出荷シーズンに入った。県内の2023年産スターチス出荷量は6420万本にのぼり、2位の北海道の2690万本を大きく引き離して国内トップ。
そんな日本一の花の里と呼ばれる名田地区はかつて、水不足の荒れた土地だった。名田から印南町に至る南北約15㌔、幅500㍍の帯状に伸びる海岸の丘陵地帯。温暖な気候という利点があったが、大きな河川がなく農業に使える水が少ないため、昭和初期にはサツマイモや麦を栽培。当時、印南町に大日本除虫菊株式会社(キンチョー)の工場があったことで原料となる除虫菊が栽培されるようになって農家の経済は豊かになったが、昭和30年代に入ったころから化学薬品の登場で除虫菊栽培が影を潜め、経済の高度成長に伴い食生活も変化してサツマイモや麦の需要が激減。名田の農業は不振の一途をたどり、農業経営の一大転換を迫られることになる。

「このままでは名田の農業の道が閉ざされる」。農家の不安の声が広がる中、地元有志が立ち上がった。やはり問題は水不足。日高川町若野の日高川から水を引く、壮大な畑地かんがい事業を構想。1958年(昭和33)8月、地元説明会の開催を第一歩に、推進委員会の立ち上げ、かん水試験などを経て60年3月、地元の熱意が通じて畑地かんがい事業の国の予算化が決定した。翌61年2月には事業主体となる名田周辺土地改良区が設立され、62年、念願の県営かんがい排水事業が着工。オープン水路3・3㌔、パイプライン8・7㌔の工事を行い、併せてパイプラインの支線167㌔も整備、66年に事業が完了した。
これを契機にサヤエンドウなどの青もの野菜の栽培が盛んに。しかし、月日が流れて水路の老朽化や上流部の住宅化に伴う水質悪化などが問題となり、86年からオープン水路をパイプラインにする新たな県営かんがい排水事業がスタート。90年の完成で適正な維持管理ができるようになったことで、青もの野菜から今度はスターチス、スイートピー、カスミ草の花き栽培への転換が一気に進んだ。以後、農免道路の整備、大規模区画整理、低コスト対候性ハウス整備などを実施。産地の強化が図られ、効率的な栽培態勢を確立した。
この間、投じた県や国の事業費は県営畑地帯総合整備事業(97~08年度)の約55億円をはじめ、総額100億円を超える。事業の推進、予算取りに、旧稲原村長で当時県議の故二階俊太郎氏(享年75)、また、俊太郎氏の長男で元衆議院議員、現在も全国土地改良事業団体連合会の会長を務める俊博氏(86)の尽力もあった。
時代の変化、ニーズをつかみ、どんな作物をどう効率的に栽培し、農業の維持、発展につなげるのか。多くの人の苦労、努力、そして希望や夢が詰まった日本一の花の里はいまもなお、進化を続ける。
チャレンジ精神の継承
名田の農業はサツマイモからすぐに現在の花き栽培に転換したわけではない。サトウキビや葉たばこ、オランダ豆、レタス、スイカ、キヌサヤエンドウ、イチゴなど、実にさまざまな種類の作物の栽培を試みては、消えていった。そこには失敗を恐れず、チャレンジ精神にあふれた農業者、そしてそれを支えた縁の下の力持ちの存在がある。
野島の仮家正弘さん(83)は、精米所を営む傍らいわゆる「五反百姓」と呼ばれた小さな農家で生まれた。自身が生後7カ月の時にニューギニアで戦死した父正雄さん(享年29)の記憶はないが、幼い頃は農業の手伝いで牛の鼻緒を引っ張った。小中学生時代は相撲がめっぽう強く、疎開で来た都会の子どもからは畏怖の念か揶揄なのか、「名田のイモ食い」と呼ばれた。
61年(昭和36)、南部高校を卒業後は農業を営む傍ら、翌62年、名田地区で県営かんがい排水事業が着工した年に、旧日高県事務所耕地課に臨時採用となり、加尾のスプリンクラーかん水試験を担当。その時はまだ主力品種だったサツマイモの葉を食べる蛾の幼虫「夜盗虫(ヨトウムシ)」の大発生に苦慮したことも。65年には県農業試験場に正式採用、69年に日高農業改良普及所の御坊担当となり、オランダ豆のウイルス対策や水田転換によるレタス栽培の普及に取り組み、84年の二度目の御坊担当の時にはスイートピーの主力産地だった淡路島を視察し、名田でスイートピー栽培を広める役割を担った。01年に定年退職し、今年4月には13年間務めた市遺族会の会長も退任。いまも名田の農業に対する思いは熱く、「農業経営の改革にみんなで取り組んでもらいたい」と願う。

そんな思いを引き継ぐように、新たな挑戦が始まっている。楠井の芝本貴史さん(47)はスターチス4500坪、ガーベラ3000坪の計7500坪でハウス栽培を行っている。大学を卒業後、先代から農業経営を引き継いだ時はいまの半分以下の面積しかなかったが、安定生産やニーズを考えてカスミ草の栽培をガーベラに転換するとともに、栽培面積を増やし、名田屈指の規模を誇る農家となった。
一方、農業分野でも大きな問題の労働力不足にはどう対応しているのか。芝本さんは7年前から、外国人労働力を活用。現在は日本人3人のほか、ベトナムとインドネシアの9人を雇用し、就業時間を決め、有給休暇などの体制を整えている。バーベキューや花火などを通して交流の機会も。空き家を改修した社員寮を用意し、電動自転車も貸与している。
外国人の雇用には言葉の壁もあるが、何よりも熱心な働きぶりに感心させられるという。将来的には農業経営の法人化も視野に入れており、「私が若いころは栽培がうまくいかず悔しい思いもしましたが、経験を積むことで安定した品質と生産量を維持できるようになってきました。確かに規模拡大や労働力確保にコストはかかります。でも、チャレンジした人だけが見ることができる世界があると思います」と前を向く。


