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死んで普遍的存在になったじいちゃんの視点かも?~芥川賞受賞作品「死んでいない者」~

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文春.jpg
 第154回芥川龍之介賞受賞作品、

 「死んでいない者」(滝口悠生著、文藝春秋2016年3月号掲載)。
                           
 私にはなかなか面白かったです。
 しかし、万人にお勧めしたい小説かというと。
 そんなことは全くないですね。
 面白いと思える人だけが読めばいいという作ですが。

 それは何もこの作品に限ったことじゃなくて。
 純文学である以上は、芥川賞受賞作品はすべてそうだといっていいのでは。

 今までの受賞作品や候補作品をみても。
 ストーリー性の高い、普通の意味での「面白い」小説っていうのはあんまり、というかほとんどみられないように思います。
(又吉直樹著「火花」は例外的に筋立てがはっきりしていましたが。短編が対象だというのに、反則的に長かったし)

 ストーリーの面白さだとか、読者を楽しませることなんかは完全に度外視して。
 文学という表現方法によって、人間存在の本質にどこまで迫っていけるかという可能性を追求するのが、純文学の意義だと思います。
 だから、この表現分野の潮流に関心のある人こそが読むべきであって。
 日頃は文学とかに特に関心はないけど、有名だからと芥川賞受賞作品を読んでみたところで、面白くもなんともないのは当たり前すぎるくらい当たり前のことだと思うんですが。
 
 普通に面白さを期待して読んでいいのは、それはもう絶対に直木賞の方ですよね。
 
 なのに。
 なんで芥川賞が、こんなにも大々的に扱われるのか。
 まるで文学全般の代表的な賞ででもあるかの如く。
 あくまでも、純文学の新人作家の短編に限定した賞に過ぎないというのに。

 みんな、「あくたがわ」という五文字の響きが好きなだけなんじゃないでしょうかね?
 
 五文字の言葉って、すわりがよくって重みがあって、なんだか劇的な感じがして、特に歴史的な出来事なんかは五文字の事件がドラマになりやすいような気がする。

 壇ノ浦。桶狭間。本能寺。関ヶ原。赤穂義士。五稜郭。田原坂。

 えっと...。これぐらいか。
 思ったほど多くもなかったけど。

 ともかく、芥川賞受賞作品の面白さは、普通の意味での面白さとはまったく違うところにあるものだと思います。

 で、「死んでいない者」。

 「火花」は10年の歳月を書いていたけど。
 この作品は、一夜限りの出来事。
 しかし登場人物の数の多さはなかなかのもの。
 85歳もしくは86歳男性のお通夜の一夜なんだけど(故人の名前はとうとう出てこない)。
 親族、幼なじみ、行きつけのスナックのママも合わせて登場人物は実に27人。
 ほとんどにちゃんと台詞がある。
 故人には子供が5人。
 孫が10人。
 曾孫が3人。
 子供や孫の連れ合いが6人。
 幼なじみが1人。
 行きつけのスナックのママが1人(お通夜に来てるわけじゃないけど)。
 あと、回想シーン?で故人の亡き連れ合いも出てくる。

 読み始めた時には。
 通夜という悲しむべき場に集まった親族それぞれの抱える事情や悲喜劇をユーモラスな視点で描き出し、最後には何事もなかったように日常に戻っていく、という感じの作かな、と勝手に思ったんですが。

 そんな単純なものではなかったですね。

 何よりの特徴は、次々と移り変わってゆく視点。
 一人称のようだけど、変則的な三人称。
(最初、三人称だと思って読んでたら「自分が子どもの頃を思っても、死者を目の当たりにした時、いやおうなしに思い知らされたものだ」という文が出てくる。かといって、その視点の主の一人称言葉が地の文で登場するわけではない)
 視点の主は各人物の中にやすやすと入っていき、その心情を克明に綴る。
 次々に、視点の位置はスライドして移り変わっていく。
 パッと切り替わるのではなく、フェイドイン、フェイドアウトという感じで。
 すーっと。
 いわゆる「神の視点」とも、また違う。
 これは...「作者の視点」としか言いようがないな、と一度は思ったんだけど。
 
 選評で、審査員の一人宮本輝さんが、
 「死んでいない者」というタイトルについて、「まだ死んでいない者」と「死んでしまってもういない者」というどちらの意味にも取れるし、そのどちらにもスライドする構造になっている、と述べられている。

 どちらにも......。
 「死んでしまってもういない者」にも。
 
 そうなんですよ!
 第4章に、これは......もしかして、死んだじいちゃんの行動か?としか、思えない描写があるんですよね! 
 
『尻を水につけ、腰を後ろにずらしながらゆっくり背中を浸していく。夜空が高く視界に現れる。先ほどから続いている水流の音は、その出どころである水に最も近づいた今、いよいよどこから鳴ってどこで響いているのか、わからなくなった。空にのぼれない者は、こうして横たわるしかない。首筋と後頭部を水につけ、ちめたーい、とふざけた声をあげる。手足の力をゆるめると、おおおおお、似てる気がする。空の感じに。空にいる感じ、するする。行ったことないけど。
 そうやって、ゆっくりと夜の川を流されていく。』

 この部分がなんだか唐突で。
 誰だ? 流されていったのは?
 と思うけれども、その後、別に誰だかいなくなったといって騒ぎになる描写はない。
 大人も子供も飲んで酔っ払ったりしてるんだけど、みんなとりあえずは無事で。
 
 この第4章は、故人の幼なじみの「はっちゃん」の話したことの回想なんかがあるんだから、視点の主は明記されていなくても、故人以外にはありえないんだよね。通夜に来ている家族や親族にそんな記憶があるわけはないから。
 
 しかし、故人は入院していて死んだのであって、別に川で流されて死んだというような記述はない。
 
 思うに、これはまだ身体の感覚の残っている故人のたましいのようなものが、身体を抜け出て昇天しようとしたけれどもできず、その代わりに水に入ってみた場面なんでしょうか。

 そうなると。
 これは......汎神論的に、身体を抜け出たじいちゃんがすべてと一体化して普遍的存在になってしまって、その場にいる子や孫やその連れ合いやひ孫や、みんなの心の中にまでも自由自在に「するり」と入って、すべての心を読み取ることができる。
 目論見通りに、「物理的氾濫の感覚」を得て。
 水のように。
 大気のように。
 どこへでも入り込む。
 そこからの視点で、次々に目の宿主を変えながら、お通夜の一夜を見ていった物語だ、と。
 
 そんな風に読み取ってみると、なんだか面白く感じられてきました。

 そして、最後に謎の鐘を撞き鳴らしたのは。

 それもじいちゃんの仕業かも、といったんは思ったんだけど。

 それはもしかして実は、5年前から行方知れずになっている、じいちゃんの孫の中では最年長のアルコール中毒患者、寛だったんじゃ?

 お通夜の場には来ていないはずの、誰もその所在を知らないはずの寛が、最終章から2つ前の13章で登場する。
 その登場の仕方も、この小説ならでは。
 孫の一人でじいちゃんと同居していた美之が、祖母の葬式に突然現れた寛の思い出を10歳下の妹に語っている。
 それがいつの間にか、そこに登場する寛の視点による語りに、す~っとスライドしていく。
 そして、アルコール中毒で子供2人を置いて蒸発した寛の回想話から、またもや視点はす~っとスライド。
 じいちゃん本人の思い出話に移行する。

 しかしこれは、回想話に出てきただけじゃなくて、寛本人が、家族や親族の誰とも顔を合わせることなく独自の方法で祖父を送ろうと、日付が変わると同時に寺の鐘を撞き鳴らしていったんじゃ?

 ......思いつきだから、全然違うかもしれないけど。
 でもそう思って読み直すと、また違う奥深さが出てくるような気がします。
 錯覚による奥深さかもしれないけど。
 
 美之という27歳のニート君が、不思議に透明でピュアな印象を残してくれました。
 外見の描写なんかはほとんどないけど。

 あと、未成年達が、ま~お酒を飲むこと飲むこと。
 なんか食べながら飲まないとアカンで~と心配になるほど。
 水のようにアルコール類を飲む中1の浩輝と小6の涼太が、アルコール中毒になって蒸発した寛の子供であることを考えると、先行きに危うさも感じさせますが。

 そうしたこともすべて、不思議にのどかな空気の中で進行していく。
 不思議な味わいの物語でした。

 登場する全員の人生が、この一夜の描写に凝縮されているようです。
 
 
 
 
 

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コメント(2)

はじめまして、HITOIKIと申します。
僕も鐘を鳴らしたのは寛だと考えます。
それは単行本の120頁の12行に「今となっては、うれしそうだったようにも思えた。」とあって、寛の祖母の顔の回想がありますが、今は特定されておらず、通夜の時と読めるからです。

コメントありがとうございます。本当ですね! 私もその部分を読んでいて、「今」という言葉があるのに、それがいつの「今」なのか読者にまったくわからない書き方なのがひっかかっていたんですが、現在(通夜の夜)の寛の視点と考えれば納得いきますね。私は、「誰にも所在のわからない寛が実は一番大胆な方法で祖父を送っていた」と考えると面白いな、という単純な発想だったのですが、もしかすると正解かもしれないですね。

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プロフィール

サト 日高新報記者。文化関係等の取材、編集整理、連載随筆や投稿原稿の編集を担当。空いた時間が少しでもあれば、本か漫画を読まずにはいられない。料理や洗濯をしながらも、可能な限り本を手離せない真性活字中毒。常に面白い本の情報を求めています。音楽や映画、歌舞伎など舞台芸術も大好きです。ひのえうま生まれの女。

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