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2012年7月21日アーカイブ

バクマン2.JPG

 20巻をもって完結した「バクマン。」(大場つぐみ原作、小畑健漫画、集英社)について、もっと書きたかったことを書いてみます。

 レンタルコミックを利用して一気に読んでいったのですが、実は一気にとか言いながら、3日間ぐらいは他の作品を並行して読んでました。
 それが、「僕はビートルズ」全10巻(藤井哲夫原作、かわぐちかいじ漫画、講談社)でした。
 ちょうど「バクマン。」では14巻から登場した悪役・七峰透くん(写真の14巻表紙の人物)が、自分の画力に加え、ネットや資金力を利用して集めたアイデアを駆使してヒット作をものにしようと画策するところ。
 奇しくもどっちも「オリジナリティ」が大きなテーマとなっており、これは興味深いと引き比べるように読んでいました。

 まず「バクマン。」のその部分を簡単におさらいすると。
 
 七峰透・18歳。 
 ネット上の「漫画をわかってる」50人の協力者に出させたアイデアを素に、群を抜いて面白い作品を描き、注目される。絵と演出上の「読ませる」テクニックはバツグン。
 作品の出来栄えと一般的な人気をタテに「面白い作品を生み出すことさえできれば手段を選ぶ必要はない」と断言、担当編集者をも手玉にとってジャンプでのしあがろうとするが、回を重ねるうち面白さが読者の求めるものに少しずつ追いつかなくなり、人気は地盤沈下。テコ入れしようとするが協力者が好き勝手に出す意見をコントロールできず、結果的に自滅する。
 と思ったら。
 もう少しのちに。
 組織的に面白い漫画を生産する企業、「シンジツ・コーポレーション」を立ち上げて復活。再びジャンプと亜城木夢叶に戦いを挑む。
 その生産のシステムとは。
 話と絵を完全に分けて、話づくりの専門スタッフを何人も確保(各賞の常連とか)。
 絵は、作品を雑誌に載せられなくなったベテラン作家勢を何人も確保。
 会社が双方を管理し、原作と絵をうまく組み合わせて作品にしていく。
 モニターとしては現役高校生を大勢確保。
 自然な反応をリアルタイムで把握していく。
 ...んだけど、途中から絵を七峰自身が担当し、ベテラン作家を切ってしまう。
 んで、いろいろあって、結果的にはまた自滅。
(結局のところ、テクニックだけで内面的な表現の豊かさの伴わない作品が、読者の心を惹きつけきれなかった、ってことでしょうか)
 
 個人的にはこの方法、あそこで七峰くんが表に出ようとしないで、ベテラン作家に若いスタッフがアイデアを提供するって形に徹したら、うまく回ればいい化学反応が起きるんじゃないかな?って気がしました。
 その場合、表現者であるベテラン作家自身が主体となって、アイデアを取捨選択したり自分の中で消化したりしながら作品づくりを進めるべきと思いますが。
 あるいはアイデア提供者を原作者としてもっと重要な地位に置くのなら、ストーリーについて作画担当者と徹底的に話し合い、統一されたアイデンティティを作品に与える。
 真の創作とはあくまでも、バランスのとれた個人の視点を通してしか成就しないと思うので。

 んで。     
 たまたま同時期に読んだ「僕はビートルズ」。
 これって、ベテランの漫画家さんが若い原作者考案のストーリーを漫画化した作品なんですよね。
 しかも作品のテーマは「オリジナリティとは何か」。
 ジャンルは漫画ではなくて音楽ですが。

 内容を簡単にいうと。(スミマセン、これからこの作品を読んでみたいという方はここはお読みにならないでください)
              
 ビートルズのコピーバンド、ファブ・フォー(=ファビュラス・フォー。「イカした4人」というような意味でビートルズの愛称)。
 そんじょそこらのコピーバンドとは一線を画するぐらいテクニックも完璧で、ビートルズへのリスペクトの度合いも半端ではない。
 そんな4人が、ビートルズがメジャーデビューする以前の時代へタイムスリップ。
 ポール役のマコトが、ひょんなことからビートルズのナンバーをその時代の人間に演奏して聴かせ、自分達の曲だと言ってしまう。
 そして紆余曲折を経て、ビートルズのレパートリーを自分達の曲としてデビューすることに。
 そこから、時代に挑戦する彼等の壮大な?プロジェクトが始まる。
 彼等の曲をすべて知っているマコト達が、先にそれを自分達の曲として発表してしまったら。
 彼等は、のちの人間達に知られているのとは違う曲を新たにつくってくるのではないか?
 「ビートルズの新曲」が生まれるのではないか?
 彼等を熱愛するがゆえの、その一見無邪気な実験は。
 まだリバプールでアマチュアバンドとして活躍していたビートルズの「解散」という、とんでもない事態をもたらす。 
 「ビートルズがいなくなっちゃったじゃないか! どうするんだよ!」
 動揺するメンバー達。
 そして、「ビートルズをつくった男」といわれたマネージャーのブライアン・エプスタインもファブ・フォーのマネジメントをしたい、と申し出てくるのだが...。

 やっぱりここで全部を詳しく書ききってしまうのははばかられるので、ここまでにしますが。
 ともかく物語は最終的に、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が内から放つ真の輝きへと収斂されて終わっていきます。

 作品の出だしを読んでいると、オリジナルの尊厳という概念をマコトたちがないがしろにしているようで、倫理的に非常に問題のあるストーリーに思えますが。
 最後まで読みきれば、「本物」を超える模倣者はいないということを雄弁に語っているようです。
 ただ、ミュージシャンにはクリエイター、プレイヤーの2つの面があること。
 (漫画でいえば、原作者と作画家でしょうか)
 プレイヤーとして輝きを放つことも、ミュージシャンとしての命を燃やしていることに他ならないことが、確かに強く訴えられていると思います。絵の力で。
 
 漫画はかわぐちかいじ氏。
 原作は藤井哲夫氏。    

 かわぐち氏はビートルズ世代で、10巻のあとがきを読むと審査の時から「この作品は自分が漫画化したい」と言われていたとか。
 藤井氏はもっとかなりお若く、私と同じく「ポストビートルズ」世代です。
                   
 「ビートルズ」が自身の大きなテーマでもあったかわぐち氏。
 単に原作のストーリーを絵で追ったのではなく、確かに半分はかわぐちさんの作品なのだなと思わせられる迫力が、絵の表現自体にある気がします。
 ロンドンでのファブ・フォーの演奏シーンに、かわぐちかいじさんのビートルズへの、そして音楽への愛情が感じられるような気がしました。
 原作に込められていたテーマがかわぐちさん自身の中で昇華され、一つの作品として表現されたのだろうと思います。
 9巻のあとがきで、藤井さんは原作者としての立場から作品誕生の経緯を詳細に語り、いみじくも「作品の中で『リアル世代』と『ポスト世代』の化学反応が起こった」と述べています。

 そのあとがきの中で一つ大変気になったのは、原作ではファブ・フォーの4人は一緒に活動してはいないとのこと。
 それはおそらく、マコトと対立していたジョン役のレイだろうと思うのですが。
 しかし4人がビートルズを模するのと、1人と3人(または2人と2人)に分かれてそれぞれに活動するのとでは、話の構図が大きく変わってきます。
 本物とコピーを対比させるというテーマがより鮮明に形になっているのはかわぐちさんの漫画ですが、レイが信念をもって別行動をとったのなら、その対比の構図をさらに客観的に見る第3者としての存在を作品の中に置いたことになります。
 その方が、話としてはより複雑になると思うのですが。
 原作ではそのストーリーをどう決着させていたのか、非常に知りたいところです。
 原作に忠実に描かれた別バージョンをも読んでみたいなと思うのですが、ムリでしょうね。        
                         
 原作付きの漫画が面白いなと思うのは、物語が絵で表現されるから、完成品に元のストーリープラスアルファの部分が生まれること。
 絵はそれ自体、描いた人の内面を表現するから。
 「バクマン。」のサイコーとシュージンは、話と絵を分担して担当しながら2人で1人の「亜城木夢叶」として漫画を生み出していましたが。
 こんな例は実際にどれくらいあるんでしょうか? 
 藤子不二雄さんは2人で話を考え、驚異的なことには2人で同じタッチの絵を描きながら、「オバケのQ太郎」などの作品を生み出していた。
 こんな例は、それこそ滅多にないんでしょうね。

 大場つぐみさんと小畑健さんはどうだったんでしょうか?
 大場さんのネームって、線はシンプルだけど独自のタッチとテンポがあって、違う作品のようでした。
 この人も漫画を描くのかな?と思いました。
 そして小畑さんの完成原稿になると。
 繊細なタッチが、ネームになかった登場人物の内面をも表しているようでした。
 言葉ではなく。  

 発想やストーリーのオリジナリティ。
 絵のオリジナリティ。
 それが融合して、一つの作品になっていく。
 遺伝子の出会いのようですね。

 思いつきのアイデアを突き合わせただけでは。
 アイデアを消化して血肉に変えることなく、単に絵で説明しただけでは。
 いい融合はできません。
 生命がそこには宿らない、ということでしょうか。
 生命のないものが、人の心を打つわけはありません。
 「バクマン。」作中の七峰透の失敗の要因は、そこにあったのでしょう。

 「バクマン。」自体は。
 味わい深い融合を実現させ、ひとつの人格をもった作品になっていたと思います。
 
 20巻、カヤちゃんに握手を求めるサイコー。
 あのシーンは名場面といっていいですね。
 異性同士でも恋愛感情のない関係。
 いわばチームメイト、同志として一緒にやってきたサイコーとカヤちゃん。
 そのすがすがしい絆に光が当たったようで、爽やかな感動でした。
 
 小畑さんは今後、ご自身で考案された物語を描く予定はないのでしょうか?
 読んでみたいですが。 

 ...と思ってたら、レンタルコミックで20年以上前の小畑さんの作品「CYBORGじいちゃんG」(集英社)を見つけた...。
 これから読んでみます。

 時間を捻出してどんどん書くとか言いながら、コレ一つ書くのに何日もかかってしまった...もっと頑張ろう。

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プロフィール

サト 日高新報記者。文化関係等の取材、編集整理、連載随筆や投稿原稿の編集を担当。空いた時間が少しでもあれば、本か漫画を読まずにはいられない。料理や洗濯をしながらも、可能な限り本を手離せない真性活字中毒。常に面白い本の情報を求めています。音楽や映画、歌舞伎など舞台芸術も大好きです。ひのえうま生まれの女。

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